現実はいつも、自分に合わせて動いてる

出会った頃、今元彼君は私のDOREIそのものだった。自由奔放に振る舞う私に、しっぽを振りながら付いてくる可愛い犬みたいなものだった。

出会った頃、今元彼君はしっぽを振りながら付いてくる可愛い犬みたいなものだった

彼は、どんな私のことも受け入れて、愛してた。私が他の男性と遊びに出かけても許した。嫉妬心でさえも燃料にしてくれた。お金が足りないと言ったら、振り込んでくれた。お金を持って逃げられる覚悟で。返したけど。

「ソーダちゃんはおれの姫」って、幸せそうだった。


当時の私は、彼を振り回す自分が大好きだった。振り回されて幸せそうな彼を見て、幸せを与えてるなと思ってた。自由奔放なドS女という奉仕の仕方をしてるなと感じていた。

私にとって彼はただのおもちゃだった。遊びの道具。完全に見下していた。

だけどいつも「平等な立場になりたいな」と思ってた。遊びの道具は価値を感じられなかったから。価値を感じられる彼になってほしかった。深くて味わいのある彼が欲しかった。


上手くいかなくなったのは、「そんな自分じゃだめ。相手にとって優しい自分でいなきゃ」と思ってから。

そこから「上手くいかない世界」が徐々に見えだして、どうにかしようと奮闘する日々が始まった。転落するように、立場は逆転。DOREI時代はどんな私のことも許した彼は、私のダメな点を挙げるようになった。

以前めーいっぱいしてくれてた愛情表現はほぼ無くなり、一気にツンツン男に。

彼と私は平等な立場だった。彼の価値をたくさん感じられたし、深くて味わいのある彼だなと思った。


これは私と親の関係の再現だと思った。

親にかまってほしくて寂しかった子ども時代は、私は親に愛されてることを知らなかったけれど、もう親の愛情が必要なくなった今になってうざいほど会いたがる親。

親は私の言葉に同意し、私の完全味方でいる。私に会いたいがために私の機嫌を損ねないように優しくする。

私のことはいいから、会いたくなるような深みと味わいのある親になってよ…と思うんだけど、本当は深みと味わいのある親なんだ。深みと味わいのある親に見える時は、相手が自分の手に負えなくなった時。


このケースは、今元彼君が始まりじゃないんだ。

過去何年か付き合ってた彼に対して、私はずっと暴君だった。その当時は何の疑問も持っていなくて、彼は私に尽くしてくれていたんだけど

私からの申し出で別れたあと、「私はなんで彼にもっと優しく出来なかったんだろう。こんなんじゃだめだ、” 優しい彼女 ” であるべきだ」と自分を責めた。

その後の恋愛でも、暴君になってることに気付くたびに「優しい女性」で在ろうとした。「” 優しい女性 “じゃなきゃだめだ」と自分を鼓舞するたびに状況は悪化し、自由奔放な時は尽くされていたのに、優しい女性の態度を取るたびに都合のいい女になっていった。


スピ難民のみなさんは、もうお気付きだと思う。「自分の在り方」が完璧に私の世界を創っていること。自分が自分にした否定がそのまま世界に現れていること。引き寄せあるあるだよね。

この話で見てほしいのは「じゃあ暴君でいればいいんだ!」「人に横暴な態度取ってればいいんだ!」「ゲスな女が愛されるんだ!」っていう部分じゃない。

私にはできるだけ他人には優しく愛情深くいたいと思う心の動きがあるから(ただ「厳しくする」という優しさもあるんだけどね)。他人にも、人にはできるだけ優しくいてほしいなと思う。

現実はいつも、自分に合わせて動いてる。